こんにちは!
好きな時に好きな事をして、たまに大規模イベント運営や講座・鑑定をしているさとかです。
小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座を受けて、
在宅勤務で楽な会社員だったのになぜか心が死んでいた私が、
自分の本音をなかったことにするのをやめた体験談を書いていきます
この記事では、
- 楽しい仕事のはずが、心と体がついていかない
- 時短勤務で給料減。なんでもっと稼げないんだろう
- 夫が自由にお金を使うのを見て、嫉妬
- 在宅勤務の楽な仕事でも、楽しくない
- 副業しようと講座に入っても、身にならない
- 自分の本音や悩みを家族にも友達にも話せない
芸能マネージャー、人材紹介、人材広告のフルリモート営業、そして派遣営業。
4回も転職しました。
会社員として、傍から見れば「ちゃんとしてる」はずの生活。
それなのに、なぜかずっと心が死んでいた私。
自分に合う仕事は、会社はないかずっと探していたんです。
家庭も仕事もあって、周りから見れば何も問題がない。だから私自身も、「こんなことで苦しいなんて言ってはいけない」と思っていました。
そんな私が小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座を受講し、自分の本音に嘘をつくのをやめたことで、親友や仲間ができ、会社を辞め、自由に暮らしている過程を書いていきます。
- 「ちゃんとしてる」はずなのに、なぜか満たされない
- 周りの人に本音が言えない
- 頼るのも、好きって言うのも苦手
- これから先の人生、このままでいいのかな…
そんな過去の私みたいな人の心が、少しでも楽になればと思って。
長くなりますが、私のストーリーを書いていきますね。
「ちゃんとしているのに苦しい」私のビフォーアフター
まず、講座を受ける前と後で何が変わったのか。ざっくり紹介しますね。
【仕事】
BEFORE
✅ 芸能マネージャー、人材紹介、人材広告のフルリモート営業、派遣営業と4回転職。
✅ 育児のための時短勤務で給料は下がり、「営業じゃなくて事務を」と言われる。
✅ 在宅勤務で楽な仕事を選んだら、仕事がつまらない。
✅ 副業をしたい!と申し込んだ中国輸入スクールに60万円払ったが、本気になれずに終わる。
✅ 「そこそこ幸せ」「自分はこんなもん」と天井を決めていた
AFTER
→自分の心を優先し、休職→退職を決断。会社に行かなくてよくなった
→講座やセッションでお金をいただけるように
→自分版の魅力覚醒講座を開き、講座生ができた
→200人のスタッフを統括するリーダーになった
※パシフィコ横浜で4000人イベントの統括&司会
→やりたい事に夢中になっていると「さとかから教わりたい」と言われる
⭐︎好きな時に、好きな場所で、好きな人と、好きなだけ仕事をする。ゼロイチのビジネスマインドをお伝えする「初恋ビジネス」講座も主催
【家族関係】
BEFORE
✅ 財布が別の夫が自由にお金を使うのを見て、地味に嫉妬。
✅ 「私も稼ぎたいんですけど?」という不満を、心の中に溜め込んでいた。
✅ 友達のように仲良く、ふざけ合う関係
✅だけど 本音や悩みは、夫にも誰にも話せなかった。
AFTER
→私が稼いでも、夫が稼いでも同じと夫の仕事をしっかり応援できるようになった
→夫の仕事の手伝いをしたり、私の事業相談にのってもらうように
→子供達にも気持ちを伝えて、対等な関係になった
【人間関係】
BEFORE
✅ 昔から自分で全部やってしまうタイプ。
✅ 拗ねている自分を、絶対に認められなかった。
✅ 強がって、人に頼るのがずっと怖かった。
✅人見知りはしないので友達は多いが浅く広く
AFTER
→頼ることは迷惑じゃないと知った
→本音でつながる親友ができた
→ダメな自分を曝け出しても絶対に愛してくれている大好きな仲間
→困っても困らなくても相談できる相手が複数人いる
→全国各地に「会いたい」友達がいる
→私を慕って集まってくれる講座生やサロン生がいる
【やりたいこと】
BEFORE
✅ 平日に自分だけ楽しむことに罪悪感があった。
✅ 「欲しい」を我慢するのが当たり前だった。
✅ 「キャラじゃないから」とオシャレを諦めていた。
✅ 苦手な家事も、無理して頑張っていた。
AFTER
→子供を置いて1週間海外旅行
→ちょっとしたランチ会・ちょっとしたパーティが毎月のように!
→ずっと憧れていたミラコスタ(ディズニーシーのホテル)に宿泊
→服もメイクもプロに任せて好きなスタイルを確立
→限定味のからあげくんを食べる為だけに静岡・山梨旅行
→好きなイベントを、自分たちの手で作れるようになった
今でこそ、好きな時に好きなことをして、大好きな人たちとイベントを作ったり、講座や鑑定を届けたりしています。
でも、昔の私が今の私を見たら、
「こういう人は、もともと特別だったんでしょ」
「家族も仕事もあるのに、これ以上望むなんてわがままじゃない?」
「マインド系の講座に高いお金を払うなんて、ちょっと怪しい」
そんなふうに思って、そっとページを閉じていたと思います。
私が受講前に「魅力覚醒講座、怪しくない?」と思っていた理由については、こちらの記事に詳しく書きました。
▶︎ 魅力覚醒講座は怪しい?私が受講前に怪しいと思っていた5つの理由
魅力覚醒講座を受ける前の私にも、夫も子どももいて、友達もいて、仕事もありました。
在宅勤務で、子どもの都合で急に休んでも大丈夫。それなりのお給料ももらえていました。
周りから見たら、何も問題がない生活だったと思います。
でも、本当はずっと苦しかったんです。
もっと夢中になれる仕事がしたい。
もっと稼ぎたい。
もっと人に求められたい。
私だって、自由に好きなことをしたい。
そんな気持ちがあるのに、
「今だって十分幸せでしょ」
「これ以上を望むなんて、わがままじゃない?」
「どうせ私には、続けられるものも特別な才能もない」
そうやって、自分の本音を何度もなかったことにしていました。
その苦しさを悩みとして認めることさえ、当時の私にはできませんでした。
もし今、あなたが
- 「ちゃんとしている」はずなのに、なぜか満たされない
- 今の生活に大きな不満はないのに、このまま続くと思うと苦しい
- もっと自由になりたい自分を、わがままだと責めてしまう
- 講座は気になるけれど、自分ほどの悩みで入っていいのか分からない
そんな気持ちがあるなら、まだ講座に入るかどうかを決めていなくても大丈夫です。
LINE公式に登録してくれた方には、簡単な「魅力タイプ診断」もプレゼントしています。
\悩んでいる方へ/
昔の私みたいに「不幸じゃないのに苦しい」と感じている人が、自分の本音に気づくきっかけになればと思って
ちょっと長いですが、ここから私の経歴と、具体的に人生が変わっていった過程を書いていきます。
①「働きやすさ」を追いかけるうちに、夢中になれる自分を見失っていた
1. 学生時代、音楽に夢中だった私
高校生になってアルバイトができるようになると、部活かバイトかライブの毎日。
バイトで稼いだお金は全てライブに行くことに使っていました。
大学生の時は、年間100回くらいライブハウスに通っていました。
大好きなバンドのスタッフとして、全国ツアーについていったり、
好きなバンドを自分で集めてライブイベントをやったり。
むしろ仕事より仕事してたw
今思うと、あの頃の熱量はすごかった。
昔から私は、好きなものを自分だけで楽しむより、誰かに届けるところまでやりたくなる人だったんですよね。

2. 念願の芸能マネージャーになれたのに、ある日ぷつんと糸が切れた
就活の時、進路は芸能プロダクションと決めていたけど、受けた会社は全落ち。
ハードル高すぎ。
でも、ご縁があってマネージャーの仕事をさせてもらえることに!
大学卒業前からインターンとして仕事を始め、そのまま新卒で芸能プロダクションに入社しました。
憧れの世界に飛び込めて、すごく嬉しかったです。
担当したのは、当時かなり忙しいタレントさん。
分刻みのスケジュールで、それはそれは大変でしたが、それ以上に楽しかったんです。
そんな生活を3年ほど続けました。
休みはほとんどなくて、深夜まで働くのも当たり前。
仕事には慣れてきたけれど、ただガムシャラにやっているだけではダメで。
入れ替わりの激しい世界で、新人でもない、ベテランでもない私は、自分の立ち位置や、自分に何ができるのかを見失っていました。
大好きな仕事だったのに、いつの間にか心と体がついていかなくなっていました。
そしてある日、ぷつんと糸が切れて、会社に行けなくなりました。
「楽しい」「夢中になれる」だけでやっていけるほど、仕事って甘くないんだ。
そう思ったんです。

マネージャーの仕事を辞め、次の会社に入る前に、トルコへ行きました。
仕事しかなかった3年間を終えて、久しぶりに立ち止まった時間でした。
3. 「普通の会社」に転職して知った、自分が失っていたもの
次に選んだのは、人材紹介の会社でした。
それまでの会社が特殊すぎたので、
「休日がある」「みんなプライベートの話をしている」というだけで衝撃を受けました。
えっ、こんな世界もあったんだ、って。
毎週きっちり休みがある。しかも会社の人全員が休んでる。
前職では、お願いして3日ほど休みをもらった時に、お土産を会社に置いたら注意されたんですよね。
「現場じゃなくてプライベートで行ったお土産なんて置いたら、自慢になるからやめな」って。
あまりにも常識が違って、びっくりですよね。
人材紹介という仕事で、たくさんの人の「現在の仕事内容・年収」「仕事への不満」「仕事への希望」を聞いて、世の中にはいろんな仕事があるんだなって改めて感じました。
人の数だけ、仕事への不満も、望んでいる働き方も違う。
私はそれまで、世の中にこんなにいろんな仕事や生き方があることを知りませんでした。
仕事は仕事。でも、それとは別に自分の生活がある。
休みの日には自分のために時間を使って、会社では仕事以外の話もする。
仕事の話しかなかった私に、少しずつ「仕事以外の自分」が戻ってきました。
4. 母になったら、やりたい仕事も収入も諦めなきゃいけない?
その会社に勤めている間に、学生時代から付き合っていた彼と結婚し、子どもを授かりました。
産休・育休を経て、「よし、また頑張ろう」と職場に復帰。
ところが、時短勤務になったことで給料は下がり、さらに「事務をやって」と言われました。
会社なりに、私のことを考えてくれていたのは分かっていました。
人材紹介の仕事は、就業時間後や土日に面談が入ることも多く、時短勤務では対応しきれない。
事務だったら、子どものことで急に帰ることになっても、ほかの人に引き継げる。
時間外に電話がかかってくることもない。
だから、何も言えませんでした。
周りでは、独身の同僚や男性社員が、営業として結果を出していました。
それはもちろん、彼女が頑張って出した結果です。
分かってる。
分かってはいるけど、羨ましかった。
そして、悔しかった。
私だって、営業がしたい。
私だって、もっとできるのに。
でも、今の仕事は全然楽しくない。
子どもができたら、やりたい仕事も、稼ぐことも諦めなきゃいけないの?
子育てもしたい。
でも、仕事だって諦めたくない。
そう思って、私はまた新しい働き方を探し始めました。
5. フルリモートで手に入れた「最強の生活」なのに
このまま、やりたくない仕事を続けていたら、私がしんどくなる。
そう思って、フルリモートで、時短でも成果を出せば給料が上がる営業の仕事に転職しました。
別の担当者が取ってくれたアポイントに電話をかけ、契約まで担当する仕事です。
もともとお客様との信頼関係を作るのが得意だったこともあり、短い時間でも成果を出せました。
時短でも、成果を出せば給料が上がる。
そして、やりたかった営業ができる。
子育てをしながら働く私にとって、「最強の生活」を手に入れたような感覚でした。
「私、このままですごいじゃん」
そう思えた時期でした。
だけど、会社が急成長するにつれて、ルールが変わりました。
管理が厳しくなり、時短勤務の分だけ給料も引かれるようになりました。
それまでは「どれだけ成果を出したか」で評価されていたのに、「何時間働いたか」も重視されるようになりました。
「実力主義」だったはずなのに、ある意味「普通の会社」になってしまった。
成果を出しても、時短勤務では評価されない。
やっぱり、子育てをしながら、やりたい仕事で稼ぐなんて無理なのかな。
そんなふうに思うようになりました。
6. 小一の壁。「仕事を辞める」以外の選択肢が見えなかった
追い打ちをかけたのが、子どもの「小一の壁」でした。
小学校に行きたがらなくて、10分の道のりを1時間かけて一緒に歩いた日もありました。
学童保育が嫌だったようで、
「学校が終わったらお迎えに来て」
と泣かれました。
教室まで連れていっても、階段まで追いかけてきたことも。
その頃、会社はフルリモートから出社前提へ変わっていました。
子どもを学校へ送り届けてから会社へ向かうので、毎日のように遅刻。
成果も出さなければいけない。
会社にいる時間も確保しなければいけない。
でも、子どもは私を待っている。
夏休みに毎日学童へ行かせるのは無理だと思い、会社を辞めることにしました。
今振り返ると、子どものことも仕事のことも、自分がなんとかするしかないと思い込んでいたんだと思います。
会社を辞める以外の方法を考える余裕は、もう残っていませんでした。
7. 自由にお金を使う夫を見て「私も稼ぎたいんですけど?」
仕事を辞めると、当然ですが、私のお財布は寂しくなります。
うちは夫婦で財布が別だったので、支払いのたびにヒヤヒヤするようになりました。
もちろん、夫婦なんだから、夫に払ってもらえばいい。
でも、「自分の支払いは自分で」と思い込んでいた私は、夫に頼ることができませんでした。
今まで自分で払えていたのに、払えなくなったことが悔しいという気持ちもあって。
プライドが高いんですよね。
そんな中、夫が自分のお金を、好きなことに自由に使っているのを見て。
心の中で、そんな声がずっと響いていました。
8. 子育ても仕事も落ち着いた頃、コロナですべてが変わった
私が次に選んだのは、在宅勤務ができて、子どものことで急に休んでも大丈夫。
そして、それなりに稼げる派遣営業の仕事でした。
時間の融通が利くこと。
それが、仕事を選ぶうえでの最優先でした。
バリバリの営業というわけではなく、比較的ゆるく働ける。
子どもも学校に慣れて、少しずつ安心できるようになってきました。
そんな頃、コロナの緊急事態宣言が出ました。
同時に、子どもの学校も休校になりました。

夫は奥の部屋にこもって仕事。
私は子どもの世話をしながら仕事。
夫も協力してくれました。
でも、子どもはどうしても「ママ、ママ」と私のところへ来る。
「私だって仕事をしているの」
そう言いたかったけれど、またここでも夫に本音を言えませんでした。
コロナの影響で、仕事の案件も減っていきました。
どうしたら案件が増えるんだろう。
どうしたら人材が増えるんだろう。
子育てと両立しながら、無理なく続けられると思って選んだ仕事でした。
でも気づけば、家庭でも仕事でも追い込まれていました。
9. 60万円払った副業。商品が売れても、全然嬉しくなかった
休校が明けて仕事が落ち着くと、暇な時間にYouTubeを見ることが増えました。
そこで目に入るのは、お金や副業の話ばかり。
「自分で稼ぐために動かなきゃ!」
「会社員だけではダメだ!」
当時勤めていたのは小さな会社で、いつまでもここにいられるわけじゃない、という不安もありました。
「何か副業しなきゃ」
焦った私は、中国物販のスクールに申し込みました。
金額は、60万円。
安くない金額を払ったのに、なぜか全然本気になれませんでした。
それもそのはず。
私は買い物が好きなわけでもない。
物販に興味があるわけでもない。
それなのに、「誰でもできる」「やればできる」という言葉だけで、好きでも得意でもないことに、時間とお金を思い切り注ぎ込んでいました。
Amazonのアカウントも作ったし、実際に商品も出しました。
だけど、商品が売れても全然嬉しくない。
商品を売るのは、私じゃなくてもいい。
誰でもいい。
ただ仕組みの中で商品を売っているだけで、そこに「私がやる意味」を感じられませんでした。
結局、ちゃんと形にならないまま終わってしまいました。
10. 「これ以上、何を望むの?」それでも欲望は消えなかった
大好きな家族がいて、安定した仕事もある。
生活に困っているわけでもない。
休みの日には家族でキャンプへ行ったり、推し活をしたり。
必死になってお出かけの予定を入れていました。
もっと楽しく過ごしたいと思っているのに、予定を詰め込むほど、なぜか余計に疲れていました。
その頃、夫は本業でも副業でも成果を出し、副業で全国を好きなように飛び回っていました。
私は、そんな夫を見てずっとモヤモヤしていました。
「もっと人に求められたい」
「自分を活かして、夢中になれる仕事がしたい」
何もしていなかったわけではありません。
中国物販だけでなく、ブログ、Instagram、音声配信。
いろいろ挑戦してみたけれど、どれも三日坊主。
「営業以外に、これといったスキルもない」
「お金のことも、よく分からない」
そんな私が、副業で何かを得るなんて無理なんじゃないか。
本業を頑張ろうとしても、なぜかやる気が出ない。
「つまらなくても、今の会社で安定した生活を守るしかない」
「所詮、私はこの程度の人間なんだ」
そうやって自分を諦めようとする一方で、心の奥からは別の声が出てきました。
もっと楽しいことがしたい。
もっと人に求められたい。
好きな時に、好きな場所へ行ける自由が欲しい。
欲しいものを我慢せずに買えるお金も欲しい。
でも、すぐに自分で打ち消すんです。
「大好きな家族も、安定した仕事もある。これ以上、何を望むの?」
「足るを知るって、こういうことじゃないの?」
でも、そんなの嫌。
「もっと欲しい」
「でも、私には無理」
「所詮、私はこの程度」
「これじゃ嫌だ」
このループを、飽きることなくずっと繰り返していました。
最後は、「引き寄せの法則で何とかならないかな」と、YouTubeで動画を見漁っていました。
願っているだけで叶うほど、そんなに簡単じゃない。
そう思いながらも、今の自分を変える方法を探し続けていました。
次回、第2回「きっかけ編」では、人生どん底だったこの時期に出会った、たった3日間の無料ライブから、講座に申し込むまでの葛藤を書いていきます。
昔の私みたいに、頑張っているのに生きづらいなぁと思っている人がいたら、一人で悩まずに相談してもらって大丈夫です。
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